椿姫(デュマ・フィス)感想と考察

「椿姫」の作者はデュマ・フィス。
「フィス」とはフランス語で「息子」という意味で、「デュマの息子」と呼ばれる作家さんです。
「デュマ」とは、「モンテクリスト伯」や「三銃士」を生み出した文豪「アレクサンドル・デュマ」の事。

椿姫の作者は、かの有名なアレクサンドルデュマが、愛人に産ませた実子なのです。

そしてデュマフィスは、実体験に基づいて「椿姫」を描いたと言われております。

  • 主人公アルマン…デュマ・フィス自身
  • ヒロイン・マルグリット…実在するマルグリット・デュプレシという高級娼婦

「椿姫」が演劇やオペラで愛され続けているのは、真実に基づいたリアルの人間描写に感動があるからです。
マルグリットのような境遇の母を見て育った息子は、子ども視点で母を、そして父親をどう思っていたいのか。
それがリアルに作品に現れています。
当時フランス文学では、事実に基づいたこのような小説仕立ての作品は珍しく、世界中に名をとどろかすまでに至ったのですよね。

主人公のマルグリットはパリ一番の美女と言われる高級娼婦。
複数の男性からの金銭的支援を受ける一方で、お金のないアルマンに恋におちる愚かな一面もあります。
でも心のどこかで「この人は本気ではない。すぐに冷めるに決まっている」と
常に娼婦である自分の立場を忘れずにいる、謙虚で賢い女性でもありました。
母のように清らかな思いと共にアルマンを愛しますが、結局不遇の女性の立場は変わりません…。

アルマンは一時の気まぐれに、若い時の「やんちゃ」の一つとして恋に落ちる浅はかさが最初から最後まで不愉快…。
若い青年にありがちな情熱はあるものの、女性の深さを見抜けるわけもない経験不足の坊ちゃんで、本当になんでこんな奴を好きになるんだ…と思ってしまいます。
見た目の王子っぽさに惹かれたのでしょうかね。

物語の冒頭からして
「昔パリで有名だったらしい高級娼婦の遺品セール!」
から始まるから、その後の悲劇が最初からわかってしまうスタイル。
読み手は「ようし、これからフランスいちの美女が坂道を転げ落ちるストーリーを読むぞ」と覚悟させられるわけです。

なぜ椿姫がこんなに高い評価を受け、世界中で何度も映画や舞台で上演され続けるのか?
作者のデュマフィスは、自分が愛人の息子として「母の苦労」と「私生児の苦悩」をみて育ちました。
それゆえに彼の作品は「金銭的に裕福で利己的な男性」が「娼婦のような社会的弱者」の人生をいとも簡単に破滅に導く不平等さを問題提議しているのです。

それは19世紀のフランスのみならず、今でも経済格差に苦しむ多くの人の心を打つのです。

マルグリットという実在の高級娼婦をモデルにした人物を主人公にしたことで、
「19世紀パリの高級娼婦がどのような生活をしていたのか」が赤裸々に描き出されることが、より作品にリアリティを与えています。

「もしも贅沢におぼれきった女性が、純愛に出会ったらどのように行動するか?」
が、ものすごくリアルに描かれている
んですよ!

アルマンの方はただただ「好きになった女性を独占したいのにできなくてイラだつ若者」という感じで、
終始「熱におかされた」感じがしているんですが…マルグリットは違います。

「娼婦の自分」と「アルマンを愛する自分」をすり合わせるも、
ことあるごとにアルマンの疑心暗鬼にさらされて、
そのたびに傷つけられ苦悩する様子が、痛々しいほどに描かれます。

マルグリットはまだいい。
こうして純愛に1度でも身を投げ出すことができたのだから。
しかし当時のパリでは多くの女性が、愛を受けることもなく「商品」としてぞんざいに扱われてきたのでは?
と嫌でも想像してしまいます。

当時のパリでは娼婦の中でも一番恵まれていたマルグリッドですら、この境遇です。
女は本当に弱い立場だったのです。

金持ちにとっちゃ「若い頃のやんちゃ」で片付く問題に、身を売る底辺の人にとっては命を落としかねない大問題。
フランスいちの美女もまた、例外ではないのです。
マルグリットがなくなってなお、へにゃへにゃ坊ちゃんのアルマンは、自分のしでかしたことが本当にわかっているのでしょうかね

物語冒頭に、アルマンがマルグリッドの墓をあばくシーンがありますが、
その理由が「あんなに美しかった人を神様がどんなふうに変えたのかを見届けなくてはならない。
変わり果てた姿を見たら、悲しい自分の気持ちも消えるかもしれない」という…。

そ、そんな理由で墓を暴かれる「美しさ」が唯一の生きるすべだった女性の気持ちを考えてほしい…って思いました。
「見にくくなった姿を見たら、自分の気持ちも消えるだろう」
って理由でアルマンは、マルグリッドの疎遠の家族のところにまで行って墓暴きを頼むんですよ。

100%自分のことしか考えていない…。
そーゆーところです。

マルグリッドに会った当初からストーカー的に付きまとい、
付き合っている間も嫉妬と疑心暗鬼を繰り返しながらも、
お金はないからマルグリットが他の男性にもらう援助で交際を続け、
別れた後は彼女にひどい仕打ちをして、
死んだら苦しみから解放されるために「死後の醜い姿を見たい」とは…。

わたしはアルマンが最初から最後まで好きになれませんでしたが、
いつの時代も「愛されて育った」男性に共通する、自分本位だけで存在する性質が見て取れます。

また、椿姫にはアルマンの父親が登場しますが、椿姫というお話自体、「作者のデュマ・フィスがアルマンのモデル」と言われている作品なので、その「父親」となると、いやでも「アレクサンドル・デュマ」を想像してしまうんです。

実際にアレクサンドルデュマが息子のために一肌脱いだ、という事実があるわけではないけど(不明)わたしはそれはないと思います。

アレクサンドルデュマは、愛人(おそらく娼婦)に子どもを産ませ、
その子(デュマ・フィス)は悲惨な母の境遇を見て育ったために、父に離反していたと言われているからです。

アレクサンドル・デュマの方も息子の作品を「説明が多すぎる」と批判的な意見を言っており、
父子の関係はそれほど良くなかった印象があります。

父を見返すために、あるいは父の目にとまるために、意地で作家になった息子は立派ですね。

椿姫は、小説自体にはエロスの表現が一切ありません。「夜を過ごした」とか「部屋に入った」「愛撫をした」というサラッとした表現でのみ書かれているので、実際にアルマンとマルグリットが結ばれた時期がよくわからないんです。

3回目にマルグリットに会ったときにすでにベッドインしているのかとも思えるし、一方で、田舎に旅行に行った時も常にプリュダンスがそばにいるため、「ひょっとしてまだベッドインしてない?」とも思えてくるんです。

読者の想像に委ねる部分が大きいですが、それを助ける多くの媒体があります。

例えば画家のミュシャが椿姫のマルグリットを描いています。
美しさの中にゆらぎがある、素晴らしい1枚で、小説のカバーになっています。

1930年代にグレタ・ガルボが主演した映画の「椿姫」は当時アカデミー賞に複数選ばれるなど好評でした。
歴代の名作なので、見る価値はあります。ただ、古すぎる…。

2017年に、「ヴァージンスーサイズ」で一躍有名になったソフィアコッポラが「椿姫」のオペラ作品を手がけました。
オペラなので日本での公演機会がない限り見ることができませんが…個人的には一番見たい内容です。
ソフィアならばマルグリットの揺らぐ気持ちを見事に再現してくれそうじゃないですか?

マルグリッドの悲劇は、わかりやすいです。
「マルグリッド自身にも非があった。アルマンが好きなら他の男性からの資金援助を断ればいい」
という評価も、特に男性からすれば一般的なものだと思います。

けど、私は女性なので、なんとなくわかります。

「愛するアルマンだからこそ、金銭的負担(それも多額の借金)の肩代わりをさせたくない」
「愛するアルマンだからこそ、あえて【ひどい女】を演じて、嫌われるように仕向けよう」

愛するからこそ、守りたいものが、マルグリッドの方でもあったんだと感じるんです。
自分自身の贅沢におぼれ切った怠惰な生活のつけ(借金)を、愛する男性におわせたくないという「プライド」が、マルグリッドの美学なんです。
マルグリッドの中には「母のような凛とした誇り」があり、それにもたれ切り、振り回すアルマンのわがまま小僧っぷりが切なくなります。

そして、いつの時代もどんな年代の男性も、多くの場合は女性が払うその代償に気が付いてくれないんですよね…。

心は確かに傷つき、救いのない小説に思えますが、だからこそ、2人の出会いの冒頭に出てきた「椿の花」が、何度も心を救ってくれるのです。
清らかな思いが花一輪に集約されているかのように。
一生で1度は読む価値のある名作です。

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