ライ麦畑でつかまえて(サリンジャー)感想と考察

いきなり余談ですが、「ライ麦畑でつかまえて」を読むなら訳者は村上春樹か野崎孝かどちらがいい?と言われると…
- 「がっつり厨二病が見たい」→野崎孝
- 「理想と現実の違いの誰にでもある歯がゆさを見たい」→村上春樹
という読みわけができるため、2冊とも読んでみることをおすすめいたします笑。
どっちか選べない…。
私は野崎孝さんの方がスラスラと読みやすかったですが、2006年に村上春樹翻訳の「新解釈」のライ麦畑を読んで、「あぁ、なるほどこういうことか」と納得できることがたくさんありました。
主人公ホールデンと、村上春樹さんのキャラもかぶる…わかる人同士の表現が散りばめられている感じです。
ちなみに英題の「The Catcher in the Rye」を直訳すると「ライ麦畑のつかまえる人」となるから、
先の訳者の「ライ麦畑でつかまえて」は訳間違いだと批判を受け、
後の村上春樹さんは英題のままの「The Catcher in the Rye」というタイトルで訳書を発表しました。
でも「ライ麦畑でつかまえて」が自分の中では定着しちゃっています。
「ライ麦畑でつかまえて」を1度でも読んだことのある方なら「この小説はなぜ人気なの?」と頭をひねったこともあるはずです。
それもそのはず。
「ライ麦畑でつかまえて」は「世の理不尽を憎んだ傷つきやすい少年時代があった人」の心だけをがっつりつかむので、
そもそも「女性」にはわかりにくいし「少年時代を忘れてしまった人」にも不可解。
わりと多くの人が「え、これが世界で6000万部も売れてるの?なんで?」と思います。
私も若い頃読んだ時思っていました。
けど、私は子どもを産んで2人の男の子の母となったことで、アラフォー過ぎてから
「ライ麦畑でつかまえて」が何を言いたいのかがスルっとわかり、これが不動の名作であることに納得できました。
そして思いました。
「この本を本当の意味で理解すべきは【母】だ!」と。
「ライ麦畑でつかまえて」の1ページ目をパらりと開くと…「母へ」と書かれています。
これは作者から母へ捧げられた作品。
作者のD.Jサリンジャーは「母親」に向けてこの作品を書いているんです。悩みぬいて読者目線のエンターテイメント性を捨てて、書き上げたこの作品で、
サリンジャーはこの作品で母に「僕はライ麦畑から落っこちたくない!」と言っているんです。
「ライ麦畑でつかまえて」の主人公ホールデンは、厨二病として世の中全てに毒づいて大人批判しているように見えますよね。
けど、ホールデン自身も、ウソと軽薄な性欲と理想通りに生きられない自分自身の本音をつらつらと書いています。
そしてそんな自分が「ウソと欺瞞と建前にどっぷりつかった大人」になることを拒み、
最後は「聾啞者として知人のいない土地で生きていくことにする」と結論付けます。
要するにホールデンは「周りみんなインチキじゃん。(妹と弟と子どもたち以外)俺は汚ねぇ大人になりたくない!けど、このままいくと自分も妥協してインチキ人間たちの仲間入りをしてしまいそう。それが我慢できない!だからもう、誰とも口をきかずに誰とも関わらずに生きていくわ。」と言ってるんです。
そしてホールデンは「将来何になりたいかって言うと、ピュアな子どもたちまで【汚ねぇ大人】にならないように守りたい。子どもたちが汚い大人になりそうになったら(ライ麦畑の崖から落っこちそうならキャッチする、と表現)俺がそうさせないように受け止める。そういう【ライ麦畑のキャッチャー】になる。」と言っています。
タイトルの伏線をここで回収してるわけです。
けど、本当は退学になり家にもどこにも居場所のないホールデン自身が、ライ麦畑から落っこちていて、
インチキまみれの汚い社会の一員になりそうでこわい。
「誰か(母)につかまえてほしい」と願っているのです。
更に作者のことを調べると、サリンジャー自身が第二次世界大戦に従軍しており、あの有名なノルマンディー上陸作戦にも参加しています。
神経衰弱として入院・除隊して戦後はトラウマに苦しめられます。
その後書き上げた「ライ麦畑につかまえて」の中に「戦争批判」の意味がないわけがありません。
私たちが生きる平和な文明社会の中の理不尽やインチキ程度のものではなく、
「ライ麦畑につかまえて」の中には確かに「戦争という名の究極の理不尽な暴力」への怒りが描かれているんです。
「汚い大人」「インチキな人間」とは、戦争を起こす人たちのこと。
長野県上田市にある「無言館」に行ったことがありますか?
そこにある「これから戦争に行く若者の手紙」を見たことがありますか?
何百もの「お母さん…」「お母さん…」「お母さん…」「お母さん…」。
若者は戦争に死にに行くときに、遺す手紙はほとんど「お母さん」へ充てるものなのだということが、胸を深くえぐりました。
「ライ麦畑でつかまえて」の1ページ目に書かれている「母へ」も同じです。
死を意識した戦争経験を経てサリンジャーは母に訴えたんです。
死にたくない。
汚い人間にもなりたくない。
お母さん、たすけて。
「ライ麦畑でつかまえて」は、「この汚い世界で生きていたくない。お母さん、僕という人間を理解してほしい。」というサリンジャーの魂の叫びなのです。
「母」になってから読んで、初めて「ライ麦畑でつかまえて」を理解することができました。
だから「ライ麦畑でつかまえて」は世界中で6000万部も売れる人気小説なんです。
誰しも一度はこの世の不条理や暴力に絶望し「この世界は汚い。お母さん、助けて。自分は無垢なままでいたかった。」と思うからです。
老若男女、誰しもが。
それでもこの世で生きていくために、自分も汚物にまみれてあらゆる「インチキ」に染まることに、我慢できなくなるからです。
お金や地位や名誉などのために、いつの間にか自分の中から子ども時代にあった「無垢さ」がなくなっていることに気が付いた時、誰しも絶望するのではないでしょうか。
そしてホールデンのように、そしてサリンジャーのように、「生涯、誰とも関わらずに聾唖者のように生きていこう」と思うのではないでしょうか。
ライ麦畑に居続けるために。
作者はD.J.サリンジャー。
本作で一躍脚光を浴びたものの、他人の目に媚びずに自分の納得のいく作品作りにこだわった生粋の天才です。
この小説を発表後に結婚して2児の父となりますが、数年後に離婚。
2017年に公開された映画「ライ麦畑の反逆児」によって、サリンジャーがどのように「ライ麦畑でつかまえて」のホールデンを生み出したのかが如実にわかります。
サリンジャー自身が、ライ麦畑の主人公ホールデンのように傷つきやすく繊細で、大人の建前や欺瞞を「インチキ」と憎み、理不尽に背を向ける潔癖な心の持ち主だったのだと、この映画では描かれています。
D.J.サリンジャーもホールデンと同じで「この世のすべてのインチキ」と関わらないよう、生涯田舎の高い塀の中の敷地で暮らしました。
と思われていましたが、実際は村で人々と交流して、イベント参加などしてつつましくも暖かく暮らしていたということです。
没年なんと2010年…最近です。



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