月と六ペンス(モーム)感想・考察

人生のベストの1冊(のうちの一つ)です!
小さなモラルなど一人の偉人の前ではどうでもいいや!と思えるくらいの天才をとりまくストーリー。
こんな天才を支えるためなら一生を捧げます、という女性たちの影の助けも胸を打ちました。
月と六ペンスは、20世紀初めにイギリスのサマセットモームによって描かれた長編小説です。
ゴーギャンの一生を書いた小説だと勘違いしている人も多いのですが、ゴーギャンはきっかけに過ぎません。
似て非なる完全なフィクションと思って読んだ方がいいです。
ただ、ゴーギャンに並ぶ天才に振り回される人間像が面白過ぎて、あっという間に読了。
この作品をみて、「価値あるものとないものを比較するとき」に「月と六ペンス」と引用する人も多いのですが、その使い方は大間違いです。
この作品は「月は価値があり、6ペンスはゴミだ」と言っているのではありません。
「人生(6ペンス)は素晴らしい。しかし一人の偉人(月)の前では無価値に等しいんだ。」
と言っているのだと思います。
もちろん解釈は人それぞれですが。
しかもこの作品で「6ペンス」扱いされるのは悉く女性のみ。
けど、女性の私から見ても全く「女性蔑視」の作品ではなく、むしろ「こんなに女性の気持ちをわかってくれてありがとう!」と思えるくらい、女性の描写が繊細で共感できるんですよ。
20世紀初頭のどこの国でも、有名小説の行間からは、女性の地位の低さが垣間見えます。
夏目漱石の「こころ」では、女性は結婚して一生保護すべき相手ではあっても、心を通わせる間柄ではありません。
フィッツジェラルドの「グレートギャツビー」では、女性は知性教養ある同じ人間ではなく、テーブルにいけた花くらいの感覚で描かれています。
けど、モームの「月と六ペンス」は女性としての意思と感情、生き方がしっかりと書かれているんです。
だから境遇は酷くても、女性蔑視だとは全く思わない。
この時代になんでこんなにも女性の気持ちをわかってくれるの??と思ったら、作家のモームはゲイであると記録が残っていて納得。
作家さん自身の性別がおそらく女性だったのではないだろうか?
と考えると納得できました。
(実際にお会いしているわけではないので想像です)
「愛などいらん。
おれも男だから、時々は女が欲しくなる。
欲望は魂の枷だ。おれは、全ての欲望から解き放たれる日が待ち遠しい。
そうすれば、何にも邪魔されず絵に没頭できる」
こんなことを豪語する男性が出てきても尚、「それでもいい」と女性読者に思わせる魅力を持つのです。
この本の作者のサマセットモームは、まるで日本のアニメーターの宮崎駿さんのように、女性心理をよく理解しているように感じます。
だから、女性目線でこの本を読んだ時に、男女差別を全く感じずにいられるのです。
「こころ」や「グレートギャツビー」や村上春樹さんのいくつかの作品は、男性中心の物語で、面白いのだけど女性を理解していない感じがあります。
目に見えた差別は書かれていなくても、どこまで行っても「俺は俺は、僕は僕は…」と世界の中心に俺がいて、女性自身の心の声は書かれません。
女性を同じ人間と考えておらず、男を男たらしめる付属品か、頭の悪いペットのように考えてないか?と女性視点から感じるのです。
これらの作品は、露骨に描かれた女性差別の作品よりもよほど、女性蔑視が読み取れてしまうんですよね。
しかし、月と六ペンスは、違います。
女性は壁にかけた美しい絵画のようには書かれていません。
そこには確かに、男性への愛に人生をかける、生々しい女性の心の声が聞こえるんです。
現代の日本女性でも十分共感できる女性心理がしっかりと書かれているんです。
そして、世の多くの女性が求める「愛すべき男性と幸せな家庭を築いて、生涯そいとげたい」という、女性が男性に捧げる愛を「六ペンス」と言っているんです。
読み終わってそのことに気が付いた後でさえ、私はこの本は女性を全く軽視していない上に、女性が男性に捧げる愛を軽く考えているわけでもないと思いました。
「六ペンス」の天秤の対極には、ゴーギャン並みの偉大な芸術家を置いているため、読んでいる女性読者に「こりゃー私たち、六ペンス扱いされても仕方ないわ…」という気持ちにさせるんです。(私だけかも)
月に行こうとしている人物に、「六ペンスあげるから、あたしと結婚して幸せな家庭を築いて!」と頼むなんて、割に合わないですもんね。
いうなれば、「月と六ペンス」は男女関係なく、「偉大な芸術家」と「普通の幸せを求めるほぼ全員の地球人」を区別している作品なんです。
人生のベスト10に間違いなく入る大作です。
特に芸術系の人にはぜひぜひ読んでいただきたい!


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