海流の中の島々(ヘミングウェイ)感想・考察

「海流のなかの島々」は作者のヘミングウェイの死後に、妻のメアリー・ヘミングウェイが発見して、ほぼ手を加えずに編集者たちと力を合わせて出版に至った作品です。
作品の冒頭には「生前夫が当然行ったであろう誤字脱字の修正やカットのみで、一切加筆などしておりません」と前書きしてあります。
ファンにはたまらなすぎるエピソード…。
「海流のなかの島々」は作者が亡くなった後に発見されて、妻の手によって出版されたものなので、いつ書いたのかも明らかではない作品です。
作中に登場する三男のアンドリューは、ヘミングウェイの三男のグレゴリーがモデルと思われますが、グレゴリーの出版した「パパ」という手記によると、1943年にはすでに「海流のなかの島々」は書き始められていたようです。
そして「若き海」「不在の海」「存在する海」の後に「老人と海」と続くのでは?とも推測されており、1952年に切り離された「老人と海」だけが出版され世界中から脚光を浴びることとなり、余計に不完全な「若き海」「不在の海」「存在する海」を完成させることができなかったのでは?と言われています。
もしも海流のなかの島々の延長として「老人と海」があるとしたら…あの爺さんがトムだとしたら…そんなに長い年月横たわる「男の孤独」は、悲しすぎます…。
作中に出てくる人物構成やハバナ近郊の「農場(フィンカ)」や、愛犬や愛猫の名前までも実名であり、別れた2人の妻との間の3人の子どもたちやその性格などは、作者のプライベートに酷似しています。
作品を構成する3つの章のタイトルが変わっており、
「若き海→ビミニ」
「不在の海→キューバ」
「存在する海→洋上」となりました。
そしてこの後に第四章的に「老人と海」が存在します。
老人と海はヘミングウェイがノーベル平和文学賞を受賞したきっかけとなった作品で、世界的に有名な短編小説です。
「海流のなかの島々」と言うと、アラフォーのわたし世代は「バナナフィッシュ」で知った方も多いと思うんですよ(笑)
私も高校生の時にバナナフィッシュを読んでいて興味を持って、「海流のなかの島々」を読んだくちです。
主人公のアッシュは若い青年なのに、深い話を読んでいるなぁと感心しました。
マンガの「バナナフィッシュ」はバナナをたらふく食べて見にくくなった魚の姿があまりにも醜悪で、見るものすべてを死に招くというというサリンジャーの小説の「バナナフィッシュにうってつけの日」から来ています。
サリンジャーのナインストーリーズの中のごくごく短い短編小説ですが、物語に漂う雰囲気は確かに「海流のなかの島々」と似通っています。
「戦争」という大きな暗い影が常に付きまとい、人の死生観に影響を与えていることを強く感じます。
海流の中の島々の主人公が、3人の子どもたちの素晴らしさを生き生きと描いているのが嬉しかったです。
離婚とかして、子育てに日常で関わってないけど、しっかりと子どもたちに愛情を注いでいるのがよくわかり、離婚した父親の良い方のパターンだなぁと思いました。
それだけに読み進めるほどに辛く悲しい気持ちになりました。
海流の中の島々は世界大戦の時代です。
人の死が身近の時代に、同じように胸を痛めた人はどれほどいたのか。
日常生活に文句ばかりの我々ですが、戦争のない国、ない時代に生まれたことがどれだけ幸せなことかを思い出させてくれます。
戦争は土地や民族に対する劣悪なレイプ行為である。
作中に出てくる一文が重いです。
でもその通りだと思います。
ヘミングウェイ自身が第一次世界大戦の時代の作家さんで、自身もアメリカ赤十字社の北イタリア派遣隊に志願して参戦経験があります。
戦争真っただ中の地域の臨場感ある様子が作中から多く読み取れるのは、そのせいですね。
サリンジャーの「戦争で心弱った」感じがせずに、ヘミングウェイはハードボイルドにお酒と男子塾っぽさで戦争を語ります。
海流の中の島々の海上戦を書く時も、入江を「女性器」に例えたりして、なんか男っぽいんですよね。
でも心の弱さを酒でごまかしてる感もして、本当は弱い男性なのかも。
自分の悲しみ、自分の弱さと酒にだけ向き合ってる感。
作品全体が「海」という名の「女性」への思慕や「口説き文句」のような雰囲気を漂わせていますが、「男の人の繊細さや弱さ・儚さ」をしっかりと文字で見たような気になり、女性が読んでも不愉快になりません。
これはヘミングウェイの他の作品にも共通している雰囲気で、海に対する敬意の現れです。
女性への敬意がちゃんとあるんですよね。
海(女性)が男性にとってどれだけ不可解で追い求めるものなのか。
そして交通事故や戦争によってズタズタに引き裂かれた「男親」の苦しみを感じました。
男親の心理描写をここまでしっかりと書いた作品は多くないと思います。
「海流のなかの島々」はメキシコ湾流の中に点在する島々という意味ですが、「海は女性」「”流れ”は人生に起きる出来事」と仮定することもできます。女性はただ「姿を変えて見せ」て、島の形をほんの少し変えるだけで、不動にあり続ける男性に対して何もできないんです。男性はたゆたう自分をありのまま受け入れてほしいと女性に願い続けます。男女の間に「永遠」はなく、愛し合う奇跡の瞬間を分かち合うことだけしか許されないのだなと感じました。
…そこに子どもがいれば、男女間に「永遠」は生まれるのかもしれない、とも読み取れます。
長男若トムの母はヘミングウェイの友人の女優マルレーネ・デートリッヒがモデルと言われています。
2人の結婚は彼女の浮気で破綻したと思われます。うっすらとそんなな描写があるが明記はされておらず、それを明記することすら、主人公トムのプライドに触るかのように、巧妙に隠して表現されているんですよね。
このトムのプライドもまた、破綻の原因かと想像できます。
けど、第三章を読み終えると、若トムの母親は不可解な「海」などではなく、血の通った等身大の女性であり、彼女もまたトムを気遣って、「何とかトムが立ち直る力になりたい。お互いに」と考えていたのだとわかります。
ただトムが、「自分を愛する人間の気持ちを全く理解していなかった」のだと…。
「あんたは自分に惚れてくれる人間のことは、何一つわかりゃしねぇ人だ」という作品最後の一言が、物語全体に思い一石を投じてるような気がしました。
海流のなかの島々の「海流」とは「ガルフ・ストリーム」。つまりメキシコ湾流を指しています。
フロリダ沖からキューバ沖にかけてこの海流が通る一帯の地域はヘミングウェイの作品に何度も登場します。
バナナフィッシュのブランカが引退後に住んでたのもこの地域ですね(笑)
「老人と海」もこのあたりのお話です。
ヘミングウェイの作品に多く登場する「ジンライム」も出てきます。
「ジンをくれ。ライムをたっぷり絞ってくれ」
生きている間にいつか言ってみたいセリフの一つですが…私はお酒がとても弱い…><
海流のなかの島々が名作と言われる理由
「海流のなかの島々」が名作と言われる理由は、以下の点です。
- 男女の愛をテーマにしているから
- 父性愛をテーマにしているから
- 書かれた時代を綿密に書き出しているから(戦争)
「海流のなかの島々」は男女や親子の愛が深く描かれていますが、
その「愛」が海への思慕と混ざり合って非常にわかりにくくなっています。
更にはヘミングウェイ自身が未完のまま亡くなってしまったために、
書きなぐりの会話のシーンが多く、
「結局何が言いたいの?」というポイントがわかりにくく、読み手には不親切な内容になっています。
けど、よくよく読んでみると、女性への愛を海への愛とかぶらせて表現しており、3人の息子(特に長男)への父性愛にあふれた内容です。
そして時代背景をしっかりと取り入れており、戦争が一般人に振り落とす不幸についても書かれています。
ヘミングウェイの作品は「ハードボイルド文学」の原点ともいわれており、
乱暴で荒々しく男っぽい不器用な書き方をされていますが、
その中でも一番荒っぽい作品が「海流のなかの島々」と言うことができます。
粗削りだからこそ、ヘミングウェイ本人を投影していると言えます。
他の作品はもっと読みやすい気がするんですよね。

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