武士道(新渡戸稲造)感想・考察

かつてお札にお顔が載っていた新渡戸稲造さん。
日本の紙幣で「聖徳太子」「夏目漱石」「福沢諭吉」「野口英世」「樋口一葉」など有名な偉人が描かれてますが、新渡戸稲造さんが何した人なのか、知らない人も多いですよね。

私は仕事で海外の人と関わることも多いのですが、海外の人が持つ日本のイメージはいまだに「侍」「ニンジャ」「畳」「ミカン」という感じ。
昨今の観光客の多さで、そろそろ日本の近代化も伝わっているとは思うのですが。
そもそもなんで日本のイメージはいまだに「江戸」なのか。

それは新渡戸稲造さんの書いた「武士道」という本が大いに関係しています。
最初は英語で書かれていたのか、日本語で読むとめっちゃ簡単で読みやすいです。

この本は日本ではあまりメジャーじゃないけど、海外ではとても読まれているんです。
新渡戸稲造さんご自身が海外生活をしており、妻はアメリカ人のメアリー。日本名は「萬里子」(まりこ)。

ある時メアリーが言いました。

「なぜ日本には宗教教育がないのに、道徳観念が根付いているの?」

この質問に、新渡戸さんはハッとしたと言います。言われてみればなんでだろう?
アメリカは大統領が大統領になるときに、聖書に手を置いて何とか言っていますよね。
イスラム圏内の権力者も、イスラム教の経典に逆らわぬよう政策を進めると言います。
それに比べて、日本は確かに無宗教。
天皇を神とした精神もあったものの、それはそれで明治維新で列強大国に勝つための旗印とした側面があり、歴史的に天皇崇拝をしてきたわけではありません。(イザナギ・イザナミの時代からの精神を受け継いでいる方ももちろんいらっしゃいますが)

しかし、現代国をまとめるために宗教を利用しているわけではないのに、日本人は世界一道徳観念の高い国ともいわれています。

日本人に共通しているしっかりとした道徳観念が、宗教によるものではない。では何によるものなのか?

それは日本人の心に深く根付いている「武士道」だと、新渡戸稲造は気が付きました。

そして「武士道」を書くことにしたんです。

日本人に根付いている「武士道」という心は、一人の人間が作り上げた思想ではなく、数十年、数百年の歴史の中で、武士の生き方として「自発的」に発達してきた思想です。
徳川幕府が、戦のない時代に刀をもつ侍が、暴力暴行、力による支配をしないために、道徳観念の教育をして、自制心を育てることを目的としたことも、武士道の発端と言われています。
徳川家康が生きていた時代に「鬼のように強かった」と家康が評しているのが武田信玄。
信玄の死後、武田軍を吸収した家康は、信玄のことを詳細に記した甲陽軍鑑という本を作成。
そして信玄の軍法を採用して、関ヶ原を大勝利したと言われています。
家康は尊敬する信玄の街づくりを参考にして、甲陽軍鑑を元にした教科書を武士の教育書として用い、それが明治維新で「武士道」として体系づけられたという説もあります。

この「武士道」を一言で表すと「高き身分の者に伴う義務」のこと。

「義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義」の7つの徳(精神)があると、新渡戸稲造は述べています。

この武士道の精神を世界に知ってもらいたいと、1900年に「武士道」を英語で出版。ジョン・F・ケネディや、セオドア・ルーズベルトらも愛読する程の、世界的ベストセラーとなりました。

お札になるだけあって、世界的に有名な本の著者だったんですよ。
英語向けの文章で、英語圏の国でよく読まれており、日本には逆輸入的な感じで入ってきたので日本人の多くは知らない人が多いです。

余談ですが、海外ではいまだに「日本に行くと侍に切られる」などというイメージがあるのは、この武士道の影響ではないかと、私は考えます。もう侍いないっつーのにw

メアリーによって生まれた作品ともいえますよね。
2人の出会いは1884年。
能楽研究のためアメリカへ渡った新渡戸稲造は、キリスト信教徒が集まる「クエーカー派」の集会でメアリーと出会います。
今となっては国際結婚は当たり前。
しかし当時はやはり受け入れがたく、両方の父親は猛反対。
新渡戸稲造は自分の父親に手紙を送り続けたり、メアリーの父親を説得し続けた結果…根負けした両方の父親が結婚を認めたのです。

1891年に新渡戸稲造とメアリーはめでたく結婚!
結婚後は「貧しい少年達のために学校を作りたい」という夫婦共通の目標もあり、1894年には学校を設立する夢も叶えました。

メアリーは「聡明なだけでなく、最後まで新渡戸に寄り添った強い人」と言われるほど、新渡戸稲造の功績を影で支えた、縁の下の力持ち存在。

反対を押し切っての国際結婚。
結婚後も日本の生活は異文化で育ったメアリーには辛いことも多かったに違いありません。
そこを生き抜いたというだけで、本当に強い人だとわかりますよね。

1891年にメアリーと結婚した新渡戸稲造には、翌年長男が誕生しました。
トーマス・エジソンと仲の良かった新渡戸稲造はこの長男に、遠益(とおます)と名づけましたが、生後1週間で亡くなってしまいます。
残念ながらその後、新渡戸稲造とメアリーの間に子どもが産まれなかったので、直系の子孫は存在しません。

稲造夫婦は「孝夫」と「こと子」という養子と養女を引き取り、その子ども「新渡戸彰敏」は英語学者として活躍、「武子」は「加藤英倫」と結婚し、「幸子」という娘も誕生。

新渡戸稲造には直系の子孫は存在しませんが、養子と養女の間に生まれた系列は、今も活躍を続けています。

新渡戸稲造の生い立ち
  • 1862年(文久2年)…南部・盛岡藩の藩部「盛岡」に誕生
  • 1873年…東京外国語学校・英語科に入学
  • 1877年…「札幌農学校」へ入学。卒業後は東大へ進学
  • 1882年…農商務省に勤め、11月には札幌農学校の予科教授となる
  • 1884年…渡米し「ジョンズ・ホプキンス大学」へ入学
  • 1866年…妻となるメアリーと出会い
  • 1889年…ジョンズ・ホプキンス大学の「名誉文学士号」を授与
  • 1891年…メアリーと結婚。結婚後は札幌農学校の教授に就任
  • 1900年…「武士道」を出版
  • 1901年…台湾総督府の民生部「殖産局長心得」に就任
  • 1903年…京都帝国大学「法科大学教授」に就任
  • 1906年…第一高等学校の校長に就任
  • 同年…東京帝国大学の「農家大学教授」に就任
  • その後…「東京殖民貿易後学校校長」「拓殖大学の学監」「東京女子大学の初代学長」「国際連盟の事務次長」「貴族院議員就任」「東京女子経済専門学校の初代校長」「拓殖大学の名誉教授」など、様々な功績を収め…
  • 1933年10月…カナダのビクトリア市にて、無くなりました。(亭年71歳)

経歴調べてすごすぎてびっくりです。
なんなんでしょうね、この人生は。後半の「学長」とか「議員」とかの肩書語列が書ききれないほどありましたよw

お札に選ばれる人の基準も調べてみました。

  • 日本国民が世界に誇れる人物
  • 教科書に載っているなど、一般に良く知られている
  • 偽造帽子の目的から、なるべく精密な人物像の写真や絵画を入手できる人物

日本のお札に選ばれるのは、政治家などよりも、日本国民によく知られている「文化人」がそもそも対象。
更には日本の「円」が世界通貨「YEN」として認知されるために、「世界的にも有名な人物」という視点から新渡戸稲造に選ばれたとされています。

新渡戸稲造が著した「武士道」はケネディやルーズベルトなどが愛読するなど、世界的に知られている著書であり、日本文化を世界に知らせるという視点からも新渡戸稲造はマッチしていたと言えます。

新渡戸稲造が描かれた五千円札には地球儀もデザインされていて、これは「われ、太平洋の架け橋にならん」という新渡戸稲造の思想が描かれているということです。

日本紙幣は、偽造紙幣防止や経済効果を考慮して、約20年程の周期で新デザインに変更されます。

国民に親しまれてきた人を、お札の肖像画に選ぶというから、お札の人物は知られている人が多い。

という中で「新渡戸稲造はだれ?」と切なく言われ続けてきたのは、新渡戸さんが親しまれてきた世代がアラシックス以上という時代のずれがあるからでしょうね。

教科書に大々的に乗るわけでもないけど、こうして経歴を調べてみると、早くから渡米して異国文化日本の武士道精神を広めた人として、日本が世界に誇れる人だということがよくわかります。

新渡戸稲造は、当時では珍しい外国人との国際結婚や、日本と太平洋を結ぶ架け橋となるべく、活動の拠点を海外へ移し、国際連盟の事務次長に任命されるまで飛躍しました。

妻であるメアリーとの共通の目標「貧しい少年達のために学校を作りたい」という夢を叶えたところもすごいです。
何よりも、日本人特有の「武士道」の精神を、世界に広めたというのは大きな功績。

倒幕して明治維新を経て、政権がいくつも後退して海外文化がなだれ込んだ今の日本人にとって、「武士道」はどこ吹く風。
武士道を忘れた今の日本人にとって、150年前まで存在した本物の武士道の精神を学ぶために、新渡戸稲造の本はかっこうの教科書です。

紙幣に描かれている人物の事を掘り下げて調べてみると、面白いものですね。

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