車輪の下(ヘルマンヘッセ)感想・考察

有名なタイトル作品が、まさかこんな「坂道を転げ落ちる」ストーリーだったとは…。
ヘッセは世界的に有名な小説家で、「車輪の下」は世界ではヘッセ作品の中で5番目くらいに有名なんだけど、日本では断トツ1位の作品です。

多分、日本の教育とどこか似ているからなのかな~なんて思ってしまいました。
机に向かうだけの勉強を「勉強」として、子どもを机にしばりつけるとこうなるぞ。
という教訓として広まってくれたらいいなと思います。
外に出て遊ぶことこそ、学びがたくさんつまってるので、子ども時代は思う存分、外で遊ばせてあげたいですよね。

「車輪の下」の意味は、つまり「勉強させられすぎた子どもが車輪の下敷きになっている」状態のことを言います。
主人公ハンスは、子どもの頃からもう、車輪に片足挟まってるじゃん…みたいな可哀想な状況に思えました。
周囲の期待に応えたい。お父さんを喜ばしたい。そんな子どもの気持ちを利用して、机に縛り付けちゃダメですよね。
けなげなハンスがいたたまれなくなります。
思う存分、釣りをさせてあげて!!

ただ、ハンスの強いられている詰めこみ教育の合間の魚釣りや散歩の中で見る自然の描写は素晴らしく、ヘッセが小説家であると同時に詩人であることが思い出されます。
大自然は確かにハンスの心の癒しになっていると感じます。
神父も父親も学校の先生たちも、ほんとにわかってない。
親として腹が立つばかりでした。

友人のハイルナーの存在は、私は読んでいて反骨精神旺盛な可愛い子どもだ。くらいに思いましたが、YouTubeでこの感想動画を配信したところ、「ハイルナーさえいなければ、ハンスの運命は変わってた。という意見をいただき、なるほど、そういう視点も確かにありありだな、と思いました。

「車輪の下」はヘッセの少年時代の生い立ちに酷似していることから、ヘッセの自叙伝的小説と言われています。
主人公のハンスは作者のヘッセなのだと言われますが、読んでみるとそれだけでは不完全であることがわかります。

ヘッセは「13の歳に、詩人になれないのなら、何にもなりたくない」といい、学校を脱走して、退学。
自殺未遂を試みた後に転校して、転校先の学校でも教科書を売ってピストルを買うなどの問題行動を起こして退学になります。
どちらかというと、ヘッセはハイルナーのキャラクターともかぶりませんか?

つまり、ハンスだけでなくハイルナーも、ヘッセ自身の化身のように描かれているのです。
そして退学になったハイルナーに関しては、その後色んな経験に果敢に立ち向かって、「しっかりした立派な人間になった」と書かれています。
作者のヘッセは自叙伝的小説だからこそ感情移入して、車輪の下敷きにならなかった自分自身の大人になった様子も、ひっそりと書き入れたのでは?と感じました。

物語の最初から最後まで、周囲のいいなりで弱弱しいハンスに、決定的にかけているパーツは「母親」です。

「母親」そのものでなくても、「母親に変わってハンスの本心を思いやる」人物がいれば、事態はもっとよくなっていたのに、と感じます。
周囲の人間はみな、ハンスの外見や能力ばかりに目を奪われ、教育虐待。
ハンスの本心を、誰ひとり思いやろうとしなかったことに驚きます。
母がいればなぁ。

ヘッセ自身は神学校から脱走した後、自殺を試みて、神経衰弱に陥る時期もあるのですが、心配をし続ける母の存在によって立ち直ります。
ハンスとヘッセの違いは「母親がいるかいないか」です。

私は車輪の下を読んで、「だから詰め込み教育はダメだってば!w」と思いました。

詰め込み教育は、ハマる子にはいいのですが、ハマらない子には最悪です。
靴屋のフライクおじさんが、全くもって正しいです!

子どもがやりたい好きなことをさせてあげられる環境を作ってあげるのが、一番です。

車輪の下の作者のヘッセは、ドイツ生まれのスイス人です。
車輪の下の主人公ハンスと同じように、幼いころから頭の良さを発揮して、難関試験に合格し、マウルブロン神学校に入学します。
そして学校の詰め込み教育に嫌気がさして、半年で脱走…。

その後自殺未遂をして、精神科に入院。
長続きしない職を転々としています。
詩人になりたい気持ちは変わらず、1899年に「ロマン的な歌」を自費出版します。
その後詩人としても、作家としても才能を伸ばし続け、ナチスドイツ下でも平和主義を掲げました。
その後スイスに帰化して亡くなるまでスイスの小さな村モンタニョーラで過ごします。

ヘッセは生涯で3度の結婚をしており、最初の妻マリアとの間に3人の子どもを授かっています。
次男のハイナー・ヘッセには4人の子どもがおり、ヘッセの血は現代も続いています。

ヘッセの「少年の日の思い出」は、日本人なら誰しも知っている有名な作品です。

1931年にヘッセを訪ねた日本の独文学者の高橋健二に「帰りに読みたまえ」とヘッセが渡した新聞の切り抜きが、まさにこの「少年の日の思い出」でした。
内容に感化された高橋健二が日本語訳して日本で出版。
その後、70年間も国語の教科書に載せられ続けるほどの名作として伝えられてきました。

しかし…ヘッセが新聞の切り抜きを高橋健二さんに渡してしまったために、ヘッセの死後の膨大な資料整理の中でもこの作品は見つからず、ドイツやスイスではほぼ知られていません。

2008年に日本で「ヘルマン・ヘッセ昆虫展」として「少年の日の思い出」を具現化した展覧会が開かれたときに初めて、「少年の日の思い出」の貴重な新聞コピーが日本にあることが知られました。

日本という国だけで突出して有名だった「少年の日の思い出」は、実は世界中で日本でしか読むことができない幻の作品だったのです。

話しを「車輪の下」に戻しますが、「子どもを勉強漬けにしちゃいけないよ」というヘッセからのメッセージを、現代日本人はいつまでも、胸にとどめておいてほしいです。
子ども時代はやり直せません。
一生のうちの宝の時代なのです。

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