斜陽(太宰治)感想・考察・ネタバレあり

太宰治の「斜陽」は「華族の女性が落ちぶれていく物語」として有名ですが、かず子はそうではありません。
明治・大正・昭和の時代を生きてきた太宰治という作家の時代においては確かに「華族の姫が落ちぶれていく物語」に見えたのかもしれません。
しかし、昭和・平成・令和を生きる女性にとっては、勇気づけられる力強いしたたかな女性の美しい生き方がそこには描かれています。
戦争直後を経験した日本男児は、戦って敵をやっつけるぞ!という熱をやり場なく、鬱屈していた人が多かったように作品からは読み取れました。なぜこう、そろいもそろって男たちが情けなく頼りなく怠惰でお酒に逃げるのだ…。と。
それに対して女たちは戦前も戦後も「日々の生活」と「恋愛」を主軸に生きており、時代がどうあろうとも心は常に身近な大切な人のための積み上げである、という強さ。女は強いです、本当に。敗戦後のしわ寄せはもちろん、日本にいきるすべての国民に押し寄せましたが、その重みに耐えかねてお酒に逃げる男に比べて、女は「ここからどう、幸せに向かうか」という地に足の着いた人生を生きている描写、男女対照的な書き方が素晴らしかったです。
ちなみに、男は男で敗戦の悔しさ、苦しみを抱えていて、お酒に逃げる弱さを責める気持ちにはなりません。
行き場のない悔しさ、闘争心によって、アプレゲール犯罪を起こす人もいたくらい、敗戦の悔しさは計り知れないのだと思います。
太宰さんはもちろん、三島由紀夫さんの作品からも男性の気持ちの爆発がうかがえます。
以前書いた感想で「ソ連兵に差し出された娘たち」(クリックするとレビューに飛びます)がありましたが、その時も敗戦後の女性の強さを誇らずにいられなかった。
女はなんて強いのでしょうか。
もちろん、重圧に耐えかねてなくなる命もあります。
耐えられない女性だっています。
弱弱しく、戦前の暮らしの面影を捨てきれずに、消えていく命の記憶も抱きしめながら、生きていく女性の強さ。それが斜陽の主人公の強さです。
革命は、いったい、どこで行われているのでしょう。すくなくとも、私たちの身のまわりにおいては、古い道徳はやっぱりそのまま、みじんも変わらず、私たちの行く手をさえぎっています。…けれども、…こいしいひとの子を生み、育てることが、私の道徳革命の完成なのでございます。…けれども私たちは、古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きるつもりです。
斜陽のクライマックス。
かず子が「落ちぶれた女」ではなく、「誇り高く自分で選んだ人生を生きていく強さのある素敵な女性」とわかる感動的な個所です。
古い文化は「革命」で変わると思っていたのに、落ちぶれた華族にのしかかる古い道徳に縛られ続けて生きるかず子。
華族の姫のままの母。(風と共に去りぬのメラニーみたい)
落ちぶれた華族の弟。
しかしかず子は違いました。
変わる世の中の変わらない窮屈な道徳の中でも、自分らしい生き方を選んだのです。
そしてそのことを喜んでおり、ちっとも恥じていない。
かず子にとって、好きな人の子を身ごもることこそ「革命の達成」だったのです。
こんな強い女性の生き方があるか!と感動するシーンなのに、世の中の「斜陽」の評論家たちは「華族の姫が落ちぶれていく物語」と評価するなんて…男性の評論家にはかず子の強さ、したたかさ、女の勝利がわからないのか?と疑問です。
かず子は旧体制の「華族とはこうあるべき」にも支配されずに自力で抜け出し、革命のもたらした退廃した闇にも飲み込まれず、持ち前の強い心で太陽のように生きていく道を選んだのだと、はっきりと書かれています。
これが「勝利」でなくてなんでしょう。
戦争に負けた国の男は恥辱を舐めて酒浸りで死んでいく一方で、大地に根を張り、強くたくましく次世代を育てる女性こそ、今の日本の「建国の母」と言えるでしょう。
華族であろうと女性は強い!
地位や名誉よりも「子ども」によって強さを得る、最強の女性像が描かれていました。
太宰さんの作品の中で、私が一番好きな作品です。
感想・レビュー