フラニーとズーイ(サリンジャー)感想・考察

サリンジャーが「バナナフィッシュにうってつけの日」という小説で書いたグラース家の別の兄弟のお話です。
「ライ麦畑でつかまえて」を除いて、世界で二番目に有名なサリンジャーの作品と言えます。
「だから何が言いたいの?」というサリンジャーの世界観もそのまま引き継いでいます。

グラース家だって、「皆様よくご存じの」みたいなノリでサリンジャーが当然のように小説に書いてますが、読み始めは「誰だっけ?」となりますよね(笑)

「フラニーとズーイ」も冒頭から急に「皆さんご存じのグラース家のフラニーです」的に出てきますが、「え?誰だっけこの子、有名な子?誰が主人公?」と訳が分からないところから始まります。

グラース家は
「バナナフィッシュにうってつけの日」
「コネティカットのひょこひょこおじさん」
「小舟のほとりで」
「フラニーとゾーイー」
「大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア-序章-」
「ハプワース16、一九二四」
に出てきます。

7人兄弟なので、サリンジャーの色んな小説に違う兄弟が出てきたりするので、ひとくくりで「グラース家」と覚えておくといいですよ。

  • フラニー…グラース家の末っ子女子の19歳
  • ズーイ…グラース家の下から2番目の男の子
  • レーン…フラニーのボーイフレンドの大学生。(グラース家じゃない)
  • シーモア…グラース家の最年長の兄(他界)末っ子のフラニーとは18歳差
  • バディ…グラース家の次男
  • ミセス・ベッシ―・グラス…グラース家の7人兄弟の母

フラニーは、「ライ麦畑」のホールデンと同じような悩みを抱えています。

この世界の仕組みに疑問を感じ、世界の歯車の一つのパーツになることに抵抗をおぼえる若き少女。
この世界に都合のいいパーツの一つになりたくない。
そんな思いから死ぬほど悩んでいます。

フラニーはなんとなく、メンヘラな感じがして、実世界にいたら苦手なタイプの女の子。
しかも宗教にハマり始めてて危ない一歩手前。
更に美人だから、そんな彼女を放っておかない周囲の男たちもそろってて…。
甘やかしすぎ!
と思うこともありました。
でも美人から見た世界ってこんな感じなんでしょうね。
顔整ってない女性がフラニーみたいに生きると、ただ周囲の全員が離れていくだけで、フラニーの様には絶対に行かないはず…とか思ってしまいました。

ただ、フラニーやホールデンの抱える悩みはよくわかります。

周囲全てが金や権力に価値をおいていて「インチキ」にみえ、自分はそこに属していたくないので、宗教的な純粋な精神世界に逃げ込みたいと願っているのです。

ライ麦畑のホールデンが「ライ麦畑」に逃げ込みたがっていたのと同じです。

私も仕事や子育てに疲れると、何も考えなくていい世界に逃げ込みたいって気持ちになるので、これから汚い世界のパーツにならざるを得ない若者の彼らの気持ちはよくわかります。

ライ麦畑でつかまえてに出てくる教師はホールデンに「この世界はゲームなんだ。」と言います。
資本主義社会で生きていくには、確かにゲームのようにルールに乗っ取って勝ち残らなくてはいけません。もしくは、敗者として一生を生きるか…。
とはいえ、他人が敗者として惨めに生きるのをわかってて、踏みつけて生きていくのもいやだ…。

「フラニーとズーイ」でフラニーは、「この世は役を演じて生きるんだ」と兄に説得されます。
太ったオバサンの前で演じるのだと。
太ったオバサン=多分キリスト?的なイメージだと思うのですが、明言されてないのでよくわかりません。
自分の本心は置いといて、この世界にとって必要な人間として、演じること。
そうすることで、罪悪感やモヤモヤをなくせるんですよね。
だって「演じている」に過ぎないのだから。本心ではないってことで。

要するに若者たちは悩んでいるってことですね。

いつの間にやら、若者たちが「自分はこんな世界の歯車の一つになりたくない!」と思う歯車としてぐるぐるぐるぐる回転し続けているワタシです。
むしろ「誰にも負けるもんか!」くらいの気持ちで、化粧や服で自分を武装して、誰にも本心を見せずに、ゲームに勝つことを願い、演じ続けています。

思えば、ホールデンやフラニーみたいに、こんな世界に入るのが嫌だったことなんてあったのか?

私みたいな人間ならば、フラニーみたいに苦しむことは、確かにないかもしれない。
けど、フラニーを理解することはできます。
誰かが助けてくれ、心配し続けてくれ、寄り添ってくれたら、フラニーみたいに気持ちを吐露することもできたのかもしれない、もしかしたら。

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