二宮金次郎とは誰?歩きスマホの誘導防止で、銅像がなくなるってホント?

二宮金次郎とは







「二宮金次郎って、あるきながらスマホしてるの?」と次男が言った…

 

なるほど、現代の子どもたちにはそう見えるかもしれないね、と笑ってたけど、

ニュースで「子どもの歩きスマホを誘導するとして、

小学校の二宮金次郎の銅像が撤去されています」とやっていてびっくり。

 

ええええぇ!

撤去されるほどのことかい?!!

でも確かに、令和の子どもにしたら、歩きながら本を読むのも危ないですもんね。

参照元サイト:J-CAST

 

で、相変わらず子どもたちの

「二宮金次郎って何をした人なの?」に答えられない私TT

 

調べてみたら、子どもの時のマキ拾いながらの本読み以外にも色々してました。

みんなの知らない二宮金さん、ご覧ください!

二宮金次郎とは、何した人?

あの薪を背負いながら本を読む銅像で有名な「二宮金次郎」は、

「二宮尊徳」の幼名です。

二宮尊徳(金次郎)の幼少期から成人まで
  • 1787年…相模国の栢山(現在の神奈川県小田原)に百姓の長男として生まれました。
  • 尊徳が5歳の頃…南関東を襲った暴風で、濁流した川の水によって父の田畑は崩壊。➡借金からの貧乏暮らし
  • 1800年…父が死去しそれからの尊徳は、朝は薪取り、夜は草履作りを行い、一家の生計を立てる。
  • 1802年…母も死去し、幼い2人の弟は母の実家へ預け、尊徳は祖父の家で暮らす。
  • 1804年…祖父の家から離れ、働きながら貯金を貯める。
  • 尊徳が20歳…家業の復活に尽くし、農園経営を行い成功を収めます。

その後、尊徳は武家に奉公。

  • ➡母の実家に資金援助
  • ➡小田原藩の家老である「服部十朗兵衛」の家政の建て直しを行なう

服部家の家政の建て直しを行なった際に、「300両」を余剰金として贈られるが、

その報酬を一切受け取らないという行動に出て、それが評判となり、

小田原で尊徳の名前は知れ渡ったのです。

功績をあげたのに、報酬をうけとらない…これが当時の風習では尊厳の高い行動だったんですね。

小学校に銅像があるのはなんで?

農家に生まれた尊徳(金次郎)は、幼い頃から勤勉な人物だったが、

「本を読む暇があったら、働け」という教育を受けていたため、

家庭ではなかなか勉強を行う事が出来ませんでした。

 

この事があの「二宮金次郎」の銅像のモデルとも言われています。

 

「薪を背負いながらも本を読む」という姿勢が、

当時の学生にとっての「勤勉」の象徴だったと言われています。

 

尊徳の生い立ちからも分かるように、貧乏でもいくつもの困難が立ちふさがっても、

それに負けない気持ちや前向きさが後の成功に繋がっています。

 

又、成功した後も自らの功績に慢心することなく、

周りの困っている人達に対しての支援を行なうという姿勢も、

当時の学生に伝えたい姿だったのでしょう。

 

  • 「一生懸命努力する」
  • 「働くことを惜しまない」

 

という姿は、当時の日本人が大切にしている姿とされていて、

道徳の教科書などにも二宮尊徳は取り上げられています。

 

「国定教科書に載った人物ランキング」でも、二宮金次郎は「明治天皇」に次いで第二位です。

私の感想

現代は当然のように小学校に行き中学校に行き「受験どうする?」「大学は?」「専門学校は?」なんて教育面で本当に恵まれています。

しかし19世紀初頭には、家庭の貧しさから教育を受けることのできない農村部の子どもはたくさんいました。

現代とは違う身分性もあったと思います。

カエルの子はカエル。

農民の子は農民。

そうした自分の運命を切り開くため。

また、単純に自分の中の溢れる知的好奇心を満たすために、本にかじりついていた少年がいたと思うと、胸が熱くなります。

農民の子が勉強してどうなる?という周囲の反発も多かったと思います。

一家が貧困に陥ったのは、二宮金次郎さんが13歳の頃。

中学生の男子が、巻き拾いをして生計を支えながら、学問を志したんです。

それだけでも応援したいと思います。

二宮金次郎が歩きスマホを誘導ってほんと?

当時の日本では二宮金次郎は「日本人のあるべき姿」として、

銅像になる程リスペクトされていましたが、

現在では「その姿」に社会問題を照らし合わせる人が多くいます。

 

それが「歩きスマホ」です。

 

薪を背負いながら本を読むという銅像に、

  • 「子どもが真似をしたら危険だ」
  • 「”ながら”歩きは危険だ」

などと言う意見が取り上げられています。

 

ただ…「歩きスマホ」という言葉が出てくるよりも、かなり前から金次郎像はあるので、

これが直接的に「誘発する」とは言えませんよね。

 

しかし現代の社会問題とリンクしている部分が多く、批判的な声も多いのも事実です。

参照元サイト:J-CAST

その結果、銅像がなくなるの??

現代の社会問題とリンクさせられた金次郎像は、

実際に「撤去」という形でどんどん姿を消しています。

 

直接的に「撤去しろ」という声は上がらないにしろ、

  • 「”ながら”歩きは危険」
  • 子どもが真似したら危険」
  • 「勤勉の精神が現代とは異なる」

といった意見が教育委員会などにも届き、「撤去」に繋がっているのです。

 

しかし、金次郎の功績や伝えたい事などを残したいと考える人には

「尊徳の勤労や勤勉の姿は、座っていても伝わる」という意見もあり、

今では銅像の撤去が進む中、

二宮金次郎の「座像」の設置も増えてきているのです。

二宮金次郎に関する映画はある?

なんと、二宮金次郎の銅像撤去や「批判的」な声も聞かれる中、

2019年には映画化され、全国の市民会館や公民館などの施設で上映されることが決まりました。

 

監督の「五十嵐 匠」は、この映画では二宮金次郎が唱える

「積小為大」(小さな事を積み重ねて大きな事を成す)

の精神を伝えて生きたいという思いで製作したと話しています。

ぜひ、一度見てみたいですね~!でも公民館か…!

二宮金次郎の一生と、子孫

様々な功績を挙げた尊徳(金次郎)は、

1856年に下野国今市村(現在の栃木県日光市)の報徳役所にて70歳で没しました。

尊徳には妻はいたのか?子どもは?孫は?

そんな尊徳の子孫情報を紹介します。

なんと尊徳は再婚している!

尊徳は1818年に妻の「きの」と結婚するが、

翌年には「家風に合わない」と申し出るきのと離縁します。

しかし、更に翌年には「なみ」と再婚をします。

その時の尊徳の年齢は34歳で、なみの年齢は16歳と言われています。

ひー!

尊徳さん、女性に関してはかなり積極的だったのでしょうか(笑)

金次郎の子孫

尊徳には長男「徳太郎」、次男「尊行」、長女「ふみ」という子どもがいます。

長男の「徳太郎」は生後まもなく亡くなってしまい、

それからは次男の「尊行」が父の跡継ぎを行ないます。

尊行も子どもを授かり、「二宮尊親」「二宮高英」は、

尊徳の孫にあたる人物となります。

また、続く子孫として、子育て支援などを行なう「リレフト」代表の「中桐万里子」さんは、

二宮金次郎の7代目の子孫としても有名です。

さいごに

現代の発展した日本にとっては、二宮金次郎の考えや思想というのは少し難しかったり、

受け入れがたいものがあるのかもしれません。

 

その結果、「歩きスマホ」という現代の日本が作り出した悪しき風習とリンクさせられたり、

日本の象徴として立てられたはずの銅像が撤去される事に繋がっています。

 

もちろん、歩きながら本を読むという行為は良くありませんが、

あの銅像に秘められた思いを考えると、「撤去」という結論が良かったのか、

悪かったのか、頭を悩ませてしまいませんか?

 

しかし、二宮金次郎の唱える「積小為大」(小さな事を積み重ねて大きな事を成す)の考えは、

今の日本にはとても大切な事だと思います。

 

震災や災害が多い日本では、自分が出来ることや、小さな事をコツコツと行い、

「復興」という形で示してきました。

 

勤勉の象徴として小学校に銅像が建てられたはずが、

今では「勤勉の精神が現代と異なる」とまで言われていますが、

純粋な気持ちで人々を救い、利益を考えずに社会貢献を行なってきた二宮金次郎の精神は、

これからも語り継いでいかれるといいと思います。

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